Now We Are Free

コレ、タイトルの元ネタ分かる人、いるかしら?(笑)
スピ・ツイン界隈の人は、こういう映画は観ないかもしれませんねー。
そもそも、20年近く前の作品ですし!
内容的に好き嫌い分かれるし、絶対、圧倒的に帝国disになるだろうし。
本当、現代の”価値観”で2000年前語るの、ヤメレ!だからねー。

という、当時の愚痴は置いておいて。
コレは、2000年に公開された映画『Gladiator』の楽曲の1つです。
監督はリドリー・スコット、主演はラッセル・クロウ、音楽はハンス・ジマー。
まあ、映画の方は分かる人だけ分かってね?
↓の動画はカバーですけど、オリジナル曲はリサ・ジェラルド。
NHKの大河ドラマ『龍馬伝』のOPのヴォーカルの女性ね。
……とか、余計に分からないかもですが(爆)
全体的に、スピ・ツイン界隈の人、娯楽が足りてないからなー。


改めて、何でこんなタイトルにしたかという話ですが。
冥王星の世代交代に関して、以前、何処ぞで”奴隷解放”と表現してる方がいまして。
あと、別口でグレートコンジャンクションの記事を書く下準備として、
過去の大会合の日付を出していたら、丁度、前回が『Gladiator』公開の頃だったの。
私、この映画の某キャラが大好きで、10年くらい推しだったんだよね。
古代ローマにも惚れて、歴史関係は100冊以上読み漁ったし、旅行にも行きました。
タイミング良く美術展も続いたから、東京まで何度も足を運んだりしたのよ。
哲学や神学の本も、この時がきっかけで真面目に読んだんだよね。

そんなこんな思い出したのと、先日の縁切りとで、このタイトル(笑)
海王星の”魔法”の話は、少し前に書きましたけど。
その”魔法”が解けたら、スピリチュアルの本質?がようやく見えて来た感じ。
所謂、ワンネスの愛についての理解?と呼べばいいのかな?
本当、地球のお花畑で迷子になってたよ、私!という、目から鱗状態でした。
思えば、サイレントという、特殊な”ツイン概念”に惑わされて、
その言葉の発祥とか、定義的なモノを遡って充分に調べていなかった。
本当に、巷のスピは霊感商法の亜種で、エネルギー搾取の手段だったんだな、と。

だって、最初に「ワンネス(1つなるもの)」って言ってるんだよね。
だから、それは「愛に於いては1次元」って意味なんだよ。
意識や視野は、広く高く”拡散”して行く方向へ成長して行くけども。
愛に関しては、源という”原点”に収縮することが、逆説的に”成長”になるの。
自分の中に、拡散と収縮という、真逆の視点・流れを創るんだよ?
コレ、完全に「落とし穴」だと思わない?(笑)
次元上昇という言葉の錯覚で、上ばかり見ていたら”微分”出来ないやん。
拡散するから、他者との”方向性”の違いが気になってたんだよね。

結局ね、4次元のモノは、3次元には存在し得ないんだよ。
だって、3次元に「存在」してしまったら、それはもう4次元ではないから。
そういう意味で、完璧な「モノ」を求めている限り、永久に見つからない。
そもそも、4次元のモノが3次元に”投影”される際は、必ず”歪み”が生じるのよ。
それから、私的に”盲点”だったのが、万物の源についての捉え方かな。
コレ、同じ”落とし穴”に嵌ってる人が多数だと思うのだけど。
実際、万物が源(=ワンネス愛)から成り立っている、ということは、だよ?
変なもの、おかしなもの、ぜーんぶ含めて、Made in ワンネス愛なの。

多分、この期に及んで、闇ガー、悪ガー、言う人もいるだろうけども。
それすら、ワンネス愛の1つの「表現型」でしかない。
だってさ、すべては”源”から始まっているから、他に存在しないやん?(笑)
で、今度はそれを「赦さなきゃ」って、スピの定番が出て来るでしょ?
コレも同じで、赦す・赦さないも、表現方法の1つに過ぎない。
結局、ケースバイケースで、その時々で好きな方を選択していいのよ。
では、ツインの「彼」の位置づけはどうなのか、だけども。
最終的に、全部”赦せちゃう”のが、魂の伴侶っていうコトなんだろうな、と。

飽くまでも、コレは私個人の「最終結論」だけども。
赦せない人・モノに囲まれて、私は「信じてはいけない」感覚が根強かった。
だから、コレを”手放して”ということを色々な人に言われて来た訳で。
でもね、それはそれでいいんだ、というのが私の結論。
何故なら、そんな風に「他人を信じられない」という価値観があるからこそ、
私は彼の存在を愛しく想い、同時に感謝することが出来た訳だから。
逆説的に、中には「信じても大丈夫なモノも存在する」と理解した。
語学では同じ意味でも、数学的には全く違う意味合いだからね、コレ(笑)

解説すると長くなるので、後続組向けに追々書いて行きますが。
正直、ここに気がついてしまうと「なーんだ」という感じです。
今は、過去の諸々とか、巷の変なモノ嫌悪が、前世の出来事のように感じます。
何というか、ようやく、私の中心に”私”が還って来た感じ。
自己統合っぽいトコに至った時も、確かに同じように感じたのだけれど、
今回は、これで創れる・受け取れるという感覚が強かったかなー。
そういう意味で、自己統合後も何段階かあるような?
まだ上手く言えませんが、この”解放感”は素晴らしいと感じます♡

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